『月猫通り』2138号 メタラブコメ特集+序論

今回の『月猫通り』2138号では、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』が創始し、『僕は友達が少ない』が完成させた、現代ライトノベルの一潮流「メタラブコメ」を特集します。
では、「メタラブコメ」という概念で抉りだされてるラノベの一側面とはなにか?それを説明する前に、まずは今回のレビューで選択したタイトルを見ていただきましょう。

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』
『僕は友達が少ない』
『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』
『おれと一乃のゲーム同好会活動日誌』
『俺のリアルとネトゲがラブコメに侵蝕され始めてヤバイ』
『俺はまだ恋に落ちていない』
『俺がお嬢様学校に「庶民サンプル」として拉致られた件』
『クズがみるみるそれなりになる「カマタリさん式」モテ入門』
『彼女がフラグをおられたら』
『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる』
『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』
『しゅらばら!』
『おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ!』
『変態先輩と俺と彼女』
『灼熱の小早川さん』
『乙女ゲーの攻略対象になりました…。』
『俺の脳内選択肢が、学園ラブコメを全力で邪魔している』
『俺が彼女に迫られて、妹が怒ってる?』
『も女会の不適切な日常』
『ニセコイ』


……一目瞭然という感じになっていればいいな!そんな感じの今回の特集です!
以下に、この特集の冒頭におかれている序論を全文掲載します。
「メタラブコメ」がライトノベルもっとも先鋭的な一側面・一潮流であることは間違いないでしょう。現代ラノベの極北を知りたい方、そしてワナビのみなさん、ぜひ今回の『月猫通り』2138号をお買い求めください。






 メタラブコメとはなにかあなたは知らない。私たちはというと、あなたよりちょっとはましに知っているのかもしれず、そして結局のところ、やっぱりなにも知らないだろう。それは二〇〇九年八月から今日この日まで、ライトノベルを席巻していた流行り病である。それは進化の袋小路に生まれ、優雅な退屈の旋律を奏でて、ありたけの知性を煌めく小さな結晶の内に注ぎこみ、やがて小さくしぼんでいった。私たちは、メタラブコメとはなにか知らないままにメタラブコメを葬る。まだ口元からわずかな吐息を漏らし、ほんのりと頬を赤く染めあげているそれに、生きたまま土をかぶせる。そのときライトノベルは、きっとまた前に進むことができるだろう。なにもかも忘れて。外の世界で。私たちは信じる。

 おかしなタイトルのライトノベルが出版目録を埋めつくしはじめたのは、ちょうど二〇一一年ごろのことである。それはこの特集のレビューページを見ればわかるとおり。当時はまだ靄のように曖昧な作品イメージにおずおずと名が与えられはじめた段階にすぎなくて、メタラブコメについても、『僕は友達が少ない』ヒットの後に大量発生した「登場人物たちがラブコメの存在を内面化」している作品、といった程度の認識しか存在しなかった。

 ところが『僕は友達が少ない』や『俺の妹がこんなにかわいいわけがない』を精読し、そこで得られた知見を他作品に転用していくうちに、私たちがメタラブコメという言葉で言い表そうとしていた特異性の内実が徐々に明らかになってきた。特定の作品を癒しがたく蝕んでいる重大な症候群を発見した。そこで私たちは、徹頭徹尾『はがない』で起こっていたことを範としていた。よって差し当たりは、メタラブコメを「『はがない』のような小説」という言葉で言い換えてもいいだろう。

 二〇〇九年からの数年間、メタラブコメは大いに書かれ、大いに刷られた。この華やかな商業的な成功に目を潰され、また作品の内容を一瞥して躓き、多くの良識ある読者は、『俺妹』や『はがない』みたいな小説になんてなんら読むべき価値がないと一蹴に付してしまったことだろう。しかし、その判断は早計に失している。メタラブコメには固有の特異な構造があり、その仕組みが求められるだけの切実な問題が存在する。では、メタラブコメの特異性はどこにあるのか? そして、なぜメタラブコメはここまで人を惹きつけたのか? この問いかけは、「メタラブコメ特集」を貫いている

 ラブコメとはなにか。それはセックスの遅延である。性行為は恋愛の線形的発展の終着点に仮構される。だからその道のりがどんどん先へと引き延ばされれば、ラブコメは、きっともっとずっと楽しかったことだろう。しかし、メタラブコメはこのような楽園的環境の喪失を出発点としている。『俺妹』を見なさい。ヒロインたちはいつも剣呑なことを考えていて、主人公・京介の見えないところで動き回っているようにみえる。『はがない』を見なさい。次々と発覚する新事実に揺り動かされ、登場人物たちは安寧にその日常を全うすることができない。他のライトノベルとは異なり、メタラブコメには独特の「不穏さ」がある。みなの発言が信用できず、読者は登場人物たちの思考に接近することができない。キャラクターに関する情報は覆い隠され、小出しに明らかにされる情報は関係性を揺さぶる。メタラブコメは、常にこのような不確定性に曝されつづけている。そしてヒロインの好意はいつまでも決定できない。こうして、恋愛の成就は引き延ばされていく。そして、その手口もまた複雑に捻れている。

 ところで、『はがない』七巻は、ネット上である種のスキャンダルを巻き起こした。主人公の小鷹は、いつもは正常にヒロインの言動を描写しているように見えるのだけれど、彼女たちが好意のシグナルを示そうとすると、突然鈍感になってそれらすべてを見落としてしまう。古典的にラブコメ的な特性だ。だが巻数を重ねるにつれ、ヒロインの好意は覆し難く確実なものに変わっていく。そしてついに、七巻に至って、こうした鈍感な反応がすべて演技であり、実は小鷹は正常に好意を読み取れていたかもしれないという可能性が暴露されてしまう。この些か急進的な展開は様々な反応を呼んだ。とはいえ、このようなことはすべてメタラブコメの読者は知っていたことである。すなわち、『俺妹』の主人公・京介という範例において。

 メタラブコメの不確定性は、信頼できない語り手による好意の隠蔽から生じる。メタラブコメの物語進行は、ヒロインに関する情報が増えていくことによって実行される。好意の不確定性は摩耗していく。すなわち、隠されていた事実が次々と明らかになっていくことによって、変化を望まない主人公たちをとりまく状況も徐々に進行していく。他者の内面(それは魅力的で危険だ)を覆い隠すベールは次第に剥がれていき、好意は露わになる。だが彼らの観念に従えば、恋愛は絶対に進行させてはならないものである。メタラブコメの主人公は、他者の好意を僥倖ではなく、跳ね返すべき災害としてしか認知しない。好意はねじ曲げられなくてはならない。こうして、語り手パースペクティブは著しく捻じ曲げられる。だが、これだけではメタラブコメの以上に無菌的な世界観の説明として片手落ちである。メタラブコメにおいては、主人公の視点と同じようにヒロインの有り様もまた屈折している。

 俺の「妹」にはなにが許されていてなにが禁じられているのか? 僕は「友達」を僕にとっての何だと認識しているのだろう。俺の「彼女」と「幼なじみ」は、そうであることでどのような特権を主張しているというのか? こうした胃の痛くなるような不安は、メタラブコメの全領野を覆いキャラクターを踊らせている。しかしこういった問題をまったく共有しない読者にとってみれば、メタラブコメのキャラは不可視の幽霊と死の舞踏でも踊っているようにしか見えないに違いない。

 妹、友達、彼女、幼なじみ。なぜ人を属性で認識するのか。もちろん、複雑性を縮減するため。いや落ち着け。考えなおせ。そんなシステムは形式でしかなかった。事実、スキニーなシャツを若くはちきれそうな肉体でぱんぱんに膨らませている小娘のように、『俺妹』のキャラは格式張った属性の内側に煮えたぎって爆発しそうな内面を押し込んでいたのだ。ところが『はがない』では、そのような理性的なアプローチはあっさり放棄される。属性の名は端的に属性を構成する。あるいは、次々に新たな属性を明らかにしていくことで、好意に関する新たな証拠を提示していく。たとえば、もし君が僕の幼なじみであったことが発覚したらならば、それは君が僕に好意を抱いていることを示唆する有力な状況証拠になるのだ。メタラブコメの登場人物はみな事態の変化について保守的であるが、こうすれば自らの手で好意を開陳することなく物語を展開させることができる。また、あるときはキャラクター自身が属性を内面化してその「お約束」を履行するように動くこともあるだろう。彼氏彼女っていうのは一緒にお昼ごはんを食べるものでしょ? 友達っていうのは一緒に集まってモンハンすることだから。キャラクターの一切はア・プリオリに決定されず、ただ属性の指定に従って役柄を全うする。条文が人間の本質を規定する! この近代啓蒙思想めいたアトモスフィアは、恋愛に対する異様な潔癖さと結び、メタラブコメ特有の土壌を醸すことになった。

 なぜこのような奇妙な作品形式が構築されるに至ったのか? たとえば、メタラブコメ化が、文章以外の他の媒体で起こらなかったという事実を補助線にしてみよう。書かれたことは三秒経たずに陳腐化する。文章で埋め尽くされた媒体は、腐った観念の成す蟻塚に等しい。ツンデレだと記述されたキャラは、魔法のようにツンデレへと変わり、そして自己嫌悪のあまりそのまま憤死するだろう。ラブコメは、ラブコメするためにはもはやラブコメを語りすぎた。メタラブコメのキャラはラブコメを嫌悪し、恋愛から離反せずにはいられない。そして彼らをその地獄に追い立てているのは、まさしく彼らの鏡像たる読者、ラブコメに絶望している私たちに自身に他ならない。

 虚構における鋳型たる属性だけでない。現実への分析装置もまた、メタラブコメのキャラクターを追いつめている。『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』の主人公は、リア充という概念を問題化し、そこから距離をとりながら自らの共同体を維持しようとする。ところが、リア充を描写するため導入されたリアリズムというウイルスはじわじわと全身を犯し、やがてはリア充という概念がどうしようもなく無基底的で現実とはなんの接点を持っていないことを暴きだしてしまうだろう。逆に『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる』の登場人物たちは、リア充・幼なじみ・彼女といった概念を厳格に定義通り使用していくことによって、人間のものとは似ても似つかない、奇形的な造形のキャラと世界観を作り上げる。

 メタラブコメは、私たちが名付けによって行ってきた邪知暴虐のつけを払わされている。誠実に概念のみを信じ、潔癖な反恋愛を貫きつづけた結果、メタラブコメのキャラクターはほとんど人間であることをやめてしまった。それでもまだ語るつもりなのか? 三秒で陳腐化する言葉を、それよりも早い速度で語り続け、傾いた建造物に増築を重ねる自転車操業を続ける覚悟があるのか。私たちはもはや、メタラブコメという知的の営為の為した建築を爆砕する気にはなれない。だが、進化の袋小路はもうなにも生みださない。まなじりを決して遺棄しよう。ミネルヴァの梟はもう飛び立った。やがて鬨の声は上がる。私たちはここにメタラブコメの終わりを宣言し、次の領野へと軽やかに渡っていく決意を固める。
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